カメムシ

網戸にカメムシがへばりついているのを発見してしまいました。


…。


カメムシというのは大繁殖することがあります。ヘクサンボ(屁臭んぼ?)と僕の田舎で呼ばれるこのカメムシ君はたまにそういうことがあって、そんなときに田舎に行くと大変でした。部屋のそこらじゅうにカメムシがいるし、なんだか飲んでるお茶が臭いと思ったらきゅうすにカメムシが入っていて、結果的にカメムシ茶を飲んでしまったこともあります。すごいショックでした。なんとか帰路につき、数日後ガソリンスタンドで給油しようと給油口を開けたらカメムシがいたりもしました。とにかくあの臭いはたまりません。


そして僕はカメムシというと、学生時代のあのことを思い出します。


僕はその日から数日、学校の所有する山林で生物学実習をすることになっていました。マクロ系を志望していた僕はフィールドに出るのが好きで、天気も良く気分爽快でした。


そのときの実習内容は、ハンミョウという虫を使った個体数の推定。まずハンミョウをたくさん捕まえ、油性のマーカーで一匹一匹マークをし、いったん放します。何日か経ってハンミョウが集団の中で均等に混ざった頃、再びハンミョウを捕まえ、そのうちマークのついている個体が何匹いるか確認し、その割合からこの周辺にいるハンミョウの個体数を概算しようというものでした。例えば100匹マークをして放し、再び100匹捕まえてそのうち5匹にマークがあったとしたら、その周辺には2000匹の個体がいると考えられるのです。なかなか面白い実習です。


早速張り切ってハンミョウの採集を始めた僕たちでしたが、ハンミョウがなかなか見つかりません。指導教官は「ちょっと時期が早かったかな〜」と言って困っていましたが、このままではらちがあきません。すると教官はしばらくしてとんでもないことを言い出しました。


「ハンミョウはやめて、カメムシにしましょう。」


何いぃぃぃぃーーーーー!!!!近くにいるだけでも嫌なカメムシ。臭いがつくとなかなか取れないあのカメムシを捕まえるだとおぉぉぉぉーーーー!!!!確かにカメムシはたくさんいましたが、僕らは大反対しました。でも教官は笑って相手にしませんでした。僕は質問しました。


「どうやってマークするんですか?」
「左手でカメムシを持って、右手でマークすればいいですよ。」


カメムシを持つ…。ありえない。しかし決定は覆らず、僕らはカメムシを捕まえる羽目になりました。全然乗り気ではなかったけど、もうやるしかありません。カメムシはそこらじゅうにいて、難なく捕まります。なるべく触らないようカゴに入れましたが、ある程度捕まるとマーキングの作業が待っています。僕らは決死の覚悟でカメムシを持ち、マークをしました。恐る恐る左手の臭いを嗅いでみると、えぐいカメムシの臭いがしました。


一度やってしまうともう同じなので、僕らは諦めて淡々と作業をこなしました。しかしその左手の臭いはそう簡単に取れるものではなく、しばらくは嫌な思いで生活をし、やっと気にならなくなった頃に再びカメムシを捕まえる作業をしました。


ああカメムシ君、どうかうちの近所での大繁殖だけは勘弁して下さい…。

謎の商人

昨今の金融不安、ヤバすぎますよね。


毎日ニュースを欠かさず見ているのですが、企業は資金繰りが悪化し、この危機からの脱却に必死です。そして金融資産として所有していた株を売却する動きを見せている企業を目にして、僕もなんとなく触発されてしまいました。


僕も資産を売却しよう!


今年は一気に低所得者層となり、所得税もほとんど払っていない僕なので気分も高まります。売れそうな物を集めてみると、任天堂DSやゲームボーイアドバンスなどが出てきました。ゲームはあまりやらないのに購入し、一時期だけ遊んでたものだったので、売りに行くことにしました。


とりあえずうちの近くに2つほど中古ゲームを買い取ってくれる店があります。それぞれ見積もりを出してもらい、高い方で売ることにしました。しかし売るには印鑑が必要だと言われ、仕方なくいったん家に戻り再び店に向かっているとき、ある軽トラが目に入りました。


「御不用になった家電製品、プレイステーションなど、ございましたらお気軽にお声をおかけ下さい」


スピーカーから聞こえたこの言葉に反応した僕は、ゲームが売れるんじゃないかと思ってその軽トラに近寄り、声をかけました。さっきの店より高く売れたら儲けものです。


「ゲーム売れるんですか?」


すると乗っていた男の人はなんだかよくわからない反応をしました。答えはイエスかノーかしかないはずなのに。聞こえにくかったのかと思ってもう一度言ってみると彼は言いました。


「あの、僕が欲しいんですけど。」


要するに、商売とは関係なしに個人的に僕からゲームを買いたいということでした。予想外の展開です。でも僕は相手が誰であろうと高く売れればそれに越したことはありません。話を聞いていると、彼はどうやら相当のゲーム好きみたいで、妙に僕に好感を持ってくれているようでした。とりあえず僕は本体しか持っていなかったのですが、彼はソフトが安く手に入るならば買うかもしれないということだったので、近くの中古ゲームショップに行ってソフトを見てみることにしました。平日の昼間、かなり自由な職業のようです。


車と自転車でそれぞれ店に着くと、中に入って二人で値段をチェックしました。さっき会ったばかりなのに変な感じですが、傍から見ると友達二人が普通にゲームを買いに来たようにしか見えなかったと思います。それくらい違和感なく僕らは接していました。


残念ながらソフトの値段が彼の許容範囲より高かったので、二人の間での取引は断念したのですが、彼はさすがにゲーム好きなだけあって、僕の知らないゲームショップをいくつか教えてくれました。どの店員だと高く見積もってくれるとか、細かい有益情報も盛りだくさんでした。他にも、今彼がやってる仕事が円高のせいで中古品の輸出がうまくできなくて、そろそろちゃんとした仕事を探さないと…みたいな話もしたりして、最後は電話番号をもらって別れました。


その後僕は彼に教えてもらた店をあたり、なんと僕がさっき見積もってもらった額より1500円も高い金額でゲームを買い取ってもらうことに成功しました。それにしても、なんとも奇妙な体験をした一日でした。

ALL #39

ALL #38 - 日記


1ヶ月ほど前からだろうか、ちょうど地固め療法の2回目が始まった頃からだと思うけど、僕は秘密の筋トレを続けていた。


それは病室で腕立て伏せやスクワットをするというようなものではない。僕の入院している病院は、僕の行動できる範囲で地上6階地下1階の造り。僕はそれを利用して毎日ほぼ欠かさずトレーニングを行っていた。6階に入院している僕は、地下にある売店に行く際、いつもエレベータを使わずにすべて階段で昇り降りをしていたのだ。


これは結構な運動になる。例えば僕が勤めている職場は建物の5階まで上がらないといけないのだけど、大体エレベータを使っていて、たまに階段で昇ったりすると、健康で体力が十分なときでも結構しんどい。便利なものに慣れきった現代人は敢えてエレベータを使わず階段を昇る人も少ないし、大概の人が息を切らすのではないだろうか。でも筋力アップと心肺機能の維持につながるこの運動は、入院生活によって進む体力の低下を食い止めたい僕にとってうってつけだった。


しかも僕は普通の人と異なり、24時間胸に点滴の管が刺さっていて、必ず点滴棒を伴って生活している。点滴棒はキャスターつきだから基本的に階段を使って移動することはできないのだけど、僕は金属製のその点滴棒を担いで6階から地下まで降りて、売店で買い物をすると、また点滴棒を担いで6階まで昇る。通常の状態より更に足かせをつけた状態でトレーニングを行っているというわけだ。


点滴棒をずっと持っているというだけで結構な負担なので3階くらいで大体一度は休憩をするし、特に昇りは本当に息が切れて数分休憩してから再開するというような感じだった。でも僕はその運動の後、いつもとてもすがすがしい気分になれた。


だけどこの僕の秘密の筋トレは突如終局を迎えることとなった。


階段というのは当然僕だけのものじゃなくて、多くの人が利用する。しかも患者というのは基本的に激しい運動をしないものなので、利用する人の多くは病院側のスタッフたちである。僕は爽やかに挨拶をしながら昇降に精を出していたが、やはり「大丈夫なのか?」といった表情で僕を見る看護師なども多いので、なるべく会話はせず、人の少ない時間帯を選んでいた。


でもこの日すれ違った看護師は違った。そのベテラン看護師は僕を見つけるととても驚き、「何してるの!?」と言って僕に駆け寄った。僕はさらっとかわしてその場を去ったつもりだったが、彼女はそんなに甘くなかった。


次の日、僕のところに担当看護師がやってきた。20代でかわいくて優しい僕の担当看護師さんだけど、その目はつり上がり、声は低かった。


「3階の看護師さんから連絡を受けたんですけど。」


僕はひとしきり説教を受け、以後点滴棒を担いで階段を昇り降りすることを固く禁じられた。

ALL #38

ALL #37 - 日記


地固め療法3回目が始まった。気がつくともう6月。外は雨模様のことが多いように思ったが、僕にはあまり関係ない。


今回の治療はスケジュール通りなら42日間かかることになる。治療が終わってすぐまた外泊できるわけではないから、次はいつ外泊できるのだろうと考えるとゾッとする。


吐き気止めをしてからドキソルビシンという薬を1時間。発病当初投与されて嘔吐したダウノマイシンを思い出す赤い液体がとても嫌な感じだけど、なんとか耐えた。並行してオンコビンとデカドロンも投与した。


午後からは髄液注射の予定だったけど、先生の都合などでなかなか始まらなかった。病室には以前ここに入院していた人が来ていて、部屋の患者と話していた。僕は少ししか一緒にいなかったので話はしなかったけど、長い入院生活を経た退院後の生活について「退院すると暇ですな。」と言っていたのが印象的だった。もしかしてこの入院生活を退屈だと思っていなかったのだろうか。定年退職者の生活とはそんなものなのか…。


それと、ベッドが1つ空いているのでまた新しい患者が入って来た。と言っても今回入って来た人は良性の大腸ポリープを取るために3日だけ入院する人で、この病室にいる他の患者とは深刻さがまったく違った。日々少しずついろんなことがある。


そうこうしているうちに髄液注射の準備が整った。メソトレキセートとデカドロン、キロサイドを投与する。毎回嫌だけど、少しの我慢だと思って臨んだが、背中から針を入れたときに右足に強い電気のようなものが走ってすごくビックリした。いつも「しびれるような感じがあるかもしれませんよ」と言われて針を刺されるのだけど、こんな感覚は初めてだった。僕の体の中で何が起こっているのだろう。針の刺さり所が悪かったのだろうか…。終了後は1時間の安静が必要なのだが、腰の辺りがずっと重い感じがして苦しく、更に安静が解けた後座ってたら急に右足がしびれてきたりした。なんとか夜には治まったけど、やっぱり髄注ってすごく嫌だ。


そしてこの日は今後の治療について医師と話をする機会があった。地固め療法を予定通り5回目までやるが、その後は移植をせずに維持療法に入る方向だという話だった。僕は入院した当初から「骨髄移植を視野に入れて治療する」と言われていたのだけど、その後の経過がとてもよく、化学療法も奏功しているのでリスクを冒すべきではないという話だった。移植は確かに様々なリスクがあり、治療もつらいし合併症が怖すぎる。方針転換はとてもうれしい。維持療法というのは外来での化学療法であり、当然入院での化学療法に比べて低い用量での治療になる。どちらにしてもあと今回を含めて3回の地固め療法に耐えて問題がなければ退院できる。


とりあえず今回の地固め療法3回目は断続的に治療が続くので心休まるときがない感じだけど、その向こうに退院という光が見えたので、なんでもいいから早く時間が過ぎて欲しいと思った。

FX

実は新しい試みを始めています。


僕はギャンブルは基本的にしないのですが、自分がある確信を持って勝てると思った投資には賛成です。世の中にはいろんな場面で投資とその見返りを考える場面がありますが、競馬やパチンコなどのいわゆるギャンブルは、主催者が儲かる仕組みになってる時点でやる気がおきません。


ではギャンブルと呼ばれないような投資は…パッと思いつくのは株式投資。でもあれもよくインサイダー取引なんかで逮捕されたりするニュースを見かけると、やっぱ僕たちにはつかめないような情報をいち早く得られる人が儲けられるんだろうなと思ってしまい、やはり未だにやる気がおきません。


でも昔から気になってたことがありました。それは為替の変動。通貨ということでとっつきやすい感じがしたこともありましたが、ニュースを見ていると刻一刻その相場は変化し、「昨日ドル買って今日円に戻せば、それだけで儲かるな〜」と思うことがよくありました。またなんとなく、株よりは情報が公平な感じもしてました。


そんな中、たまたま銀行の外貨預金に興味を持って説明を読んでいたのですが、同じときでも、自分がドルを買おうとするときのレートと、ドルから円に戻そうとするときのレートが1円とか2円とか差があるのです。専門用語ではスプレッドというのですが、要するに今1万円をドルに替えて、すぐに円に戻すと確実に目減りして1万円より少なくなるのです。海外旅行の両替とかでもわかりますよね。


そのスプレッドがあまりに大きく感じられるため萎えていたのですが、世の中に「外国為替証拠金取引(通称FX)」というものがあることを知りました。


外為法が1998年に改正されて、個人でも為替の取り引きができることになったのを知らなかったのは恥ずかしいところですが、このFXのいいところは自分が持っているお金の数倍もの売買ができるというところです。


なぜこのようなことができるかというと、例えば今お金が10万円しかないとして、それでドルを買ったとしてもせいぜい1000ドル。為替相場がいい方向に2円動いたとしても、儲かるのは2000円程度です。2円動くというのはそんなにないので、2000円儲かることは少ないと思います。でも逆に考えてみれば、それだけしか損得がないのに10万円必要というのもおかしな話。だったらその損得分が10万円になるくらいの取引をしたらいいじゃないかという発想で、10万円を担保にしたような形で取引をするのがFX。専門用語でレバレッジと言われますが、自分の担保の何倍の取引をするかを選択できるので、「為替相場が2円動いて2万円得をした」なんてことが少ない元手で可能になります。


ということで僕はウェブを巡ってFXを扱っている会社の門をたたき、とりあえずバーチャルで仮想のお金をもらってFXを始めることにしました。


バーチャルとはいえ為替相場は実際のもの。ドキドキです。秒単位で変化する為替相場を前にPCの前を離れられず、ローソク足のチャートも並べてにらめっこです。儲かるときもありますが、もちろん損もします。売り買いのタイミングが難しく、早く売っとけば良かったとか、売らなければもっと高くなったのにとか一喜一憂です。


しかしやっぱり重要なことは、自分にとっての「ある確信」。


それがないために売り買いのタイミングがつかめず、関連ニュースを見てもそれがどう為替相場に影響するのかを判断するのは難しい。そうこうしてるうちにリーマンブラザーズが破たんして株価や為替が乱高下するし、あるときは一晩で100万円以上の損失をも出したこともありました。


まだ今は様子見ですが、やっぱり危険かな〜…。

レジ袋

最近、エコ的な活動がだんだんと浸透してますよね。


いろいろありますが、その中で代表的なのが、スーパーのレジ袋削減の活動。僕も最近はレジ袋をもらわなくなりました。まあ僕の場合は、以前からどんどん家にたまっていくレジ袋がうっとうしくて、それでいてそのレジ袋は店から家に持って帰るためだけにしか使われず、なんとかゴミを出すときなんかに使っても増えるスピードの方が断然速くて嫌だったんですよね。それでも生まれたときから、スーパーではレジ袋を必ず出されていた僕は、レジ袋を拒否することを思いつかなかったんですよね。


巷では、レジ袋を有料にしたり、エコバッグを売り出したりしてますが、僕は家にあった適当な大きさのカバンを持っていつもスーパーに行きます。わざわざスーパーで買った食材を入れるために新しくカバンを買うというのがよく理解できないし、もったいないので。そしていつもそのカバンに、かつてもらって家にいっぱい溜まっているレジ袋を入れていきます。買ったものがカバンに入りきらないことも多いのです。大体、エコバッグなんて買わなくても、もらったレジ袋を何回か使えばいいんですよね。10回以上は軽く使えますよ。


こうして僕の家にレジ袋が溜まらなくなったかというとそうでもありません。レジ袋を拒否する手前までに、いろいろ袋が使われているからです。


たとえばイカの塩辛を買ったとき。


塩辛は厚めのナイロンの袋に入れられていて、それでもう十分なのですが、その塩辛の袋が発泡スチロールのトレイに乗せられ、二重にラップをかけられた上、レジで小さいナイロン袋に入れられます。この小さいナイロン袋が溜まるのです。生肉や鮮魚を買ったときは大体こんな感じですね。


一回のレジで何度も何度も「袋要りません」「袋要りません」というのはかなりしんどいんですけど、僕は頑張って言ってました。あるときは、お金を払おうと財布を見ているときにナイロン袋に入れられてしまったので、袋から出して「袋要りません」とナイロン袋を返したら「せっかく袋に入れたのに、面倒なことをするな!」と言わんばかりにお姉さんに睨まれたこともありました。でもなんとか袋を拒否しています。


生肉や鮮魚を買ったときの小さいナイロン袋は、もちろん肉や魚の汁が垂れないようにということなのでしょうが、僕の場合スーパーから家まで5分とかからないし、汁が漏れたことは一度もありませんでした。そもそも汁がこぼれてしまったとしても、僕の使ってるカバンはどうなってもいいカバンなので全然構わないのです。


しかし先日、カバンの中に入れていたものがべっとりと油っぽくなっていることに気付きました。犯人を探した結果、新物の北海道産サンマに行き着きました。サンマというのはダツやサヨリの仲間で、細長くて口が尖がっています。だから扱いを間違えるとラップを突き破ってしまうことがあるのです。そういうことを知らないレジの人が扱うと事故が起こるのです。


ということで、僕はカバンを丸洗いすることにして洗濯機に入れて普通に洗いました。が、もともと古くなっていた僕のカバン君は、初体験の洗濯機の中の環境に耐えられなかったらしく、いろんなところが破損してしまいました。僕のどうなってもいいカバンが本当にどうにかなってしまいました…。


でも僕は負けません。レジ係とのバトルは続く…。

ALL #37

ALL #36 - 日記


僕は彼のいなくなった窓際のベッドに移動することになった。念願の窓際をこういう形で手に入れることになるのは複雑な気持ちだった。確かに日が差して明るいけど、外の景色ほど僕の心は晴れなかった。


違う部屋になると、きっと彼と会う機会は少なくなる。それに、いざ移植となると大量の抗がん剤を投与したり放射線を当てたりして免疫力をなくしていく必要がある。そのため更に専用の病室に移されると思うので、そうなるとなおさらだ。じゃあ移植が終わるまでのことかというとそう簡単ではない。移植後、一般病棟に戻れるようになるまでには時間がかかるし、そもそも移植が100%成功する保証はない。また仮に移植が成功したからと言って病気が治るかもわからない。


ただ、そんなにすぐに移植に入るわけでもないだろう。しばらくは同じ病棟の個室にいるだろうから、トイレに行く時なんかにすれ違ったりしたときに話ができる。そう思っていたけど、その機会にはなかなか恵まれなかった。もう移植に入ったのだろうか。彼とまた今までのように話をしたりできるのは果たしていつのことになるのだろう。そう思いつつ僕は日々を過ごした。


窓際の景色はとても良く、近くを流れる川の向こうに繁華街が見える。僕はもう面会室で長い時間を過ごすことはなくなった。最初は自分がそこにいることに違和感があったけど、毎日窓際で外の景色を見ているとだんだんこの場所に慣れてくる。ここに彼がいて、僕がその隣の廊下側のベッドにいたのはもう随分昔のことのように思えた。彼が今どうしているのか、個人情報などの厳しくなった今、僕はそれを知ることができない。


しかしあるとき、誰か知らない患者のおじいさんが看護師さんと話をしているのが聞こえた。


「あの子はどうしたんや?」
「おうちの都合で他の病院に行かはったんよ。」


え?この病院で移植するんじゃなかったの?確かに家は遠いって言ってたけど、治療のためにわざわざこの病院を選んで半年も入院してるんじゃなかったの…?


結局、その後彼が僕の前に姿を現すことはなかった。看護師は、患者に不幸があったとしても、周りの患者に事実をそのまま伝えたりはしないらしい。彼はその後どうしたのか、本当に他の病院に行ったのか、移植をしたのか、生きているのか死んでいるのか、僕には何一つわからない。


その後、僕は彼のいない生活にだんだんと慣れていった。窓際の景色には満足していたし、治療は順調に進んだ。依然として退屈しのぎが問題で、雑誌を読んだり、外を眺めたりして過ごした。


結局僕はPSPを買わなかった。