ALL #49

ALL #48 - 日記


輸血はしたくなかったけど、グランをうった跡が紫色になってなかなか治らなかったり、体を掻いた跡が残ったりするようになり、粘りすぎて血小板数が11000/μLまで減ってしまった。これは正常な状態の10%にも満たない。最低記録だ。


仕方なく輸血されていると、腕に蚊にさされた跡のようなものが複数あることに気づいた。それは時が進むにつれ増え、さらに合体して大きくなった。気がつくと体中に広がっているそれは蕁麻疹だった。こんなことは初めてで驚いたけど、輸血ではままあることとか。最初は滴下速度を落とすなどしていたけど、ひどくなるばかりだったので途中で中止することになった。幸い数時間後にはほぼ消えたので良かったけど、やっぱり輸血は恐ろしいものだと再認識した。その血の持ち主がどんな体質の人だかわからないし、相性もあるから。


重要なのは輸血の効果だけど、途中で止めたにもかかわらず、その後の血液検査では血小板数は増えていたし、おかげで体についていた跡も消えていった。


白血球の数がある程度回復すると再び外泊が認められ、次の治療が始まるまで、なんと今回は2週間ほど時間があった。ということで僕はその間当然外泊を繰り返し、またもやほとんど病院にいない入院患者となった。外泊中の食事は、何か買ってきたり、外で食べたりしていたが、あまりに外泊が多くなっていたので、この頃にはとうとう米を炊いて料理をするようにもなっていた。


長い間使っていなかった調味料や食材などを吟味し、使えるものは使い、捨てるものは捨てた。中には賞味期限が過ぎて久しいものもあった。茶碗を洗ったり、洗濯や掃除もしていたが、これもやはり体にカテーテルが入ってないことが大きかった。


そんなさなか、これまで約4ヵ月の間同じ部屋で過ごしたおじさんが、めでたく退院する運びとなった。


退院の日、僕は外泊に出る前に挨拶をした。いろいろ話したかったけど、相変わらず耳が遠いので僕の声をなかなか聞きとってもらうことができないので多くは話せなかった。でも気持は通じたと思う。もうすぐすると奥さんが来るので、その後支度をして退院するとのことだった。とても嬉しそうだった。


僕は病院を出ると電車に乗り、乗り換えの駅で降りた。すると僕に声をかけてきたおばさんがいた。これから病院に向かう奥さんだった。奥さんは「長かったけど嬉しい」と笑顔で話していた。僕はあまり病院で社交的ではなかったけど、毎日見舞いに来てだんなさんの世話をしていたこの奥さんは、いろいろ話しかけてくれたり、食べ物を差し入れてくれたりした。ときには、病気のことで悩んでいることを相談されたりすることもあって、この人とも会えなくなるのかと思うと少しさびしかった。奥さんは僕の体のことも気遣ってくれた。そして電車が来ると、今までのお礼を言って別れた。


次に病院へ行くと、おじさんのいなくなった窓際のベッドには、少し前に来たおじさんが移動していた。


「やはり明るいですね。」


僕と前のおじさんがずっと窓際にいたので申し訳なかったけど、ようやく窓際に移動してもらって僕も嬉しかった。しばらくは、廊下側のベッドには短期入院の患者が代わる代わる入院してきて、長期入院の患者は入らなかった。


そして骨髄穿刺の結果も良く、とうとう最後の地固め療法5回目を迎えることとなった。