ALL #47

ALL #46 - 日記


僕はこの頃、外泊しては、数日に一度カテーテルが詰まらないための処理をしに病院に一時的に戻ってくるという日々を10日ほど過ごして次の治療に備えていた。


カテーテルを抜いてからは、詰らない処理をする必要がないので次の治療まで病院に来る必要がないのだが、病院の規定で入院患者が一定以上長い間外泊することはできないらしく、退院扱いにならないために病院に行くという変な状態になっていた。


入院患者にもかかわらず、病院に行くと「久しぶりやね。」と看護師さんに言われたりしたし、「来てもすることないから採血の予定でも入れとこか。」なんて場合もあったが、ひどいときは、外泊の用紙に記入するためだけに病院に行くこともあった。


同じ部屋の患者のおじさんたちは「外出れてええなぁ。」と笑顔で話してくれた。僕が外泊してる間に来た、良性の大腸ポリープで2泊入院した患者がおもらしをして部屋の中が大変だったなんて話も聞いたけど、僕はまるで入院患者を見舞いに来たかのように話を聞くことになってしまっていた。


そんなある日、僕はいつものように一時的に病院に寄って、バイタルを測ったりした後すぐさま家に帰ろうとしていた。僕は自分の病棟のある一番上の6Fから、大体いつも一般用のエレベータに乗って下に降りるのだが、たまたまその時エレベータがなかなか上がって来なかったので患者搬送用のエレベータに乗ることにした。


患者搬送用のエレベータはベッドや移動式のレントゲンなどの機器も載るようになっているのでとても広い。僕は特に調子が悪いわけでもないし普通に動けるけど、正式には長期入院患者である。


何度か途中の階で止まり、患者やスタッフが乗って来たけど、3階でベッドごと移動する人が載せられてきた。僕は脇に寄ってベッドが入るようにスペースを空け、ドアが閉まると再びエレベータは下降を始めた。そしてそのベッドを押してきた看護師さんとベッド越しに向かい合わせになったとき、記憶が蘇った。


HCUの看護師さんだ!


3階と言えばHCUのある場所。僕はここに転院してきた当初、本来いるべき6階の病棟に空きがなかったので、臨時にHCUで10日ほど過ごした。もう5ヵ月も前のことになるけど、とてもよくしてもらったことは忘れないし、6階に行くのが嫌だなと思ったくらいだった。エレベータに乗ってる時間は少ない。僕は声をかけてみた。


「あの…HCUの方ですよね?」


すると驚くことに、その看護師さんの口から出てきたのは僕の名前だった。5ヵ月も会ってなくて、しかも僕は帽子とマスクをしていたのに。


エレベータが止まり、ドアが開くと再びお別れとなった。僕はベッドで搬送する看護師さんにさよならを言って、5ヵ月前のHCUでの出来事を懐かしく思い出しながら家路についた。