夏休みの自由研究

夏休みの宿題の季節らしいですね。


特に社会人になってからは、夏休みの宿題なんてものには疎くなってしまい、それどころか夏休みがいつ始まっていつ終わったかも知らないくらいです。毎年、気がつくと12月…みたいな。


僕は小学生時代、夏休みの宿題は割と早めに片付ける方でした。ときには8月31日に泣きそうになっていることもありましたが、逆に7月に大方やってしまってることもありました。子供のころは、夏休みの宿題というものはすごく嫌なものだったので、早く終わらせたかったんですよ。


でもどうしてもなかなか進まないものがありました。自由研究です。自分のしたいことを自由にやるのは好きなのですが、やりたくないことを自由にやるというのはかなり苦痛なわけで…。


僕は毎年頭を悩ましました。特に最初の頃は「研究」という言葉に惑わされ、何か誰も発見したことがないようなことをしなければならないように感じていました。でもそんなこと小学生になかなかできるものではないので、図書館で本を借りてきてまる写ししたりしてしのいでいました。算数の計算を解くのと違って達成感もなく、ずるいことをしているのがわかってるので嫌な作業です。


でも、毎年みんなの自由研究を見るにつれ、そうでもないんだということがわかってきました。しかも何でもあり。僕はどんどん手を抜くようになりました。しかしうまくいかないこともあります。


ある年、僕はどこかで少量の木材を手に入れ、ノコギリと接着剤をチャチャッと使って本立てを作りました。ものの30分足らずです。そして夏休みが終わりました。


僕の小学校では、夏休みが明けて数日間、体育館に全校生徒の自由研究を展示することになっていました。僕は自分の学年のところに行って、紙に「本立て」と書き名前を添えて所定の場所に置きました。そして僕が教室に帰ろうとした時のことです。


少し遅れてやってきたK君が、とても立派な本立てを持ってやってきたのです!


K君の本立ては、僕のと比べものにならないくらい大きいばかりでなく、やすりやニスなどを使った高級仕立てで、しっかりと釘を打ち付けた頑丈なものでした。それに対し、僕の本立ては角に触るとトゲがささるだけでなく、接着剤も安物なので、きっと落としたら空中分解して元の木材に戻ってしまうような代物。そもそも本を立てる気はないし、文庫本がはみ出し気味に立てられる程度のものでした。


これはマズイ。


僕は踵を返し、自分の本立てのところに戻りました。そしてやってきたK君は、悠々と本立てを置き、僕の方を見て言いました。


「お、カセットテープ立てか。」
「ま、まあな。」


そうです。僕はとっさに「本立て」を「カセットテープ立て」に書き換えたのです。同じ「本立て」として並べるわけにはいかず、当時僕の作ったその木工品に載るものと言えば、カセットテープくらいのものだったので。しかし、K君は明らかに上から目線で、勝ち誇ったようにものを言っていました。


きっとまだどこかにあるんじゃないかな〜、僕の思い出のカセットテープ立て。