ALL #33

ALL #32 - 日記


入院患者というのは退屈なものだし、一人でいることが多い。一人でいるとき、人は楽しかろうが寂しかろうが笑ったりはしない。表情や言葉というものは他人とのかかわりあいの中で自分の気持ちを表現するためにあり、一人でいるときには意味をなさない。独り言を言ったり、テレビを見ているときに一人で笑ったりする人もいるけど、それは人間が常に周りに人がいるかいないかを意識しているわけではないからだろう。


そういう意味で、患者は病室で一人で過ごしていることが多いから寂しそうに見られる可能性は高いのかもしれない。ただ、誰かに監視されているわけではないので、そういう場面をあまり人から見られることはない。でも僕のように一日中オープンスペースで外を見ていると、当然無表情で無言な状態がみんなにわかるわけだから、元気がないようにも見えるのだろう。


その看護師さんは、「何か困ってることあったら話して。」と言って僕の前に座った。


僕は確かに毎日退屈していたけど、病気のことで悩んだり、絶望したりするドラマの主人公のような考えは全く持っていなかった。でももったいぶりつつ僕はそれっぽく話し始めた。窓側のベッドへ移動するために。


僕は、廊下側のベッドの理不尽さを懸命に訴えた。光や景色がどんなに大切か、24時間あの場所にいるとどんな気持ちがするか、窓側の人とあまりにも差がありすぎると。看護師さんは、気持はわかるがどうしても先に窓側に入ってしまった人がいるし、すべてのベッドに窓がない構造自体はどうしようもないからと申し訳なさそうに説明した。僕は、それならローテーション制にして定期的に交替したらいいじゃないかなどと具体的に案も出して食い下がったが、そういう新しいルールを作る気持ちはないらしく、申し訳なさそうな表情を見せるだけだった。


まあ看護師さんもいっぱいいっぱいで働いている。自分の体にかかわることとはいえ、話しているうちに、自分の主張ばかりを続ける気もなくなってきた。正論を言えば、看護師の仕事として患者の意見を伝えて反映していくことも必要だとは思うが、目の前にいるこの看護師さんにその大仕事をさせるのはやはり忍びない。


僕は一応、その他食事のことや、骨髄穿刺が前回すごく痛かったけど先生に言えなくて、次回も同じようなことが起きたら嫌だということなど思っていることを話した。話して解決することではないことだろうと思っていたけど、スッキリはした。なんだか久しぶりに人と話したような気がした。僕は窓側のベッドに移動するのはしばらく無理だとあきらめることにした。でもその後も僕は面談室に通い続けた。窓側に移るためにやっているように自分にも思えた面談室通いだけど、やはりその目的がなくなったとしても面談室に行ってしまうほど、廊下側のベッドに一日中いるのは嫌なことなのだというのが改めてわかった。


この日は土曜日で、同じ部屋のおじさん二人が揃って外泊して家に帰っていた。少し落ち着いた夜を過ごし、眠りについた。