ALL #32

ALL #31 - 日記


治療開始から数日すると、採血や尿のpHチェックもなくなり、夜にロイケリンを飲むだけになった。同じ治療を2週間後にするらしいけど、それまではロイケリンだけ。まだ骨髄抑制はしばらく来ないし、ベッドに寝てなきゃいけないほどの副作用も幸い出ていない。そうなると僕は耐えられなくなってくる。


この閉鎖的な空間にいることに。


廊下側の僕のベッドには窓がなく、壁とカーテンに四方を囲まれている。この大部屋に移ったのが外泊に出る少し前だから、まだ僕はこの環境の本当の苦しさを味わっていなかった。治療がひと段落し、一日この場所にいるということがどういうことだかだんだんわかってくる。予想はしていたけれど、実際にわかってくる。


カーテンによって部屋の電気は遮られ、細かい字は読みづらい。テレビはあまり見る気がしないので、刑務所にでもいるかのような状況になってくる。


ということで僕は窓のあるところへ行くことにした。


僕の病室は病棟の一番奥にあるが、エレベーターを出てすぐのところにある一番手前には共用スペースがある。そこは面談室と呼ばれ、お見舞いの人と話をしたりできるようにソファーなどがおいてある。ほかにも電話や体重計などが置いてあるが、結構誰もいない時間も多い。そこは窓が大きく、6Fなので街が一望できる。


僕は朝から点滴棒を伴って面談室へと向かい、マスクをしてソファーに座り、ひたすら外の景色を眺めた。面談の人が来たり、電話をしにくる人がいたり、たまには同じように景色を眺めに来る人がいたり。そして定期的に、その日の担当の看護師が僕を探しにきてバイタルを測定した。


最初の頃は、看護師さんたちは僕を見つけるのに苦労したようだったが、僕が病室にいないことがだんだんとわかってきたらしく、ナースステーションからまっすぐに面談室に来る人もいた。


ただ、窓があって明るくて開放的なのはいいけれど、一日ずっと同じ景色を見ているというのもなかなか大変なことだった。車が通ったりする以外は基本的に景色は変わらず、太陽の位置もそう簡単には変わらない。僕は多くの時間を考え事をして過ごしたが、さすがに考え事ばかりするのもつらかった。でも僕は面談室に通い続けた。実は僕の心の中には、こんな気持ちがあった。


誰か同情してくれないかなぁ。


誰かというのは看護師さん。あんな暗いところにベッドを用意され、おいしくない食事に退屈な時間。まあおいしくない食事と退屈な時間は他の患者も同じだけど、ある人のベッドからは外の景色が一日中広がり、ある人のベッドには壁とカーテンしかない。部屋の構造だからと言って納得できるレベルのものではなかったし、たぶん窓側の人の方が病気の回復も早いと思う。僕は何度かそのことについて話してみたが、対処しようとする人はなく、なんとかしなければと思っていた。ということで最後の手段として、かわいそうな患者を演じることになった。


そしてある日、一人の看護師さんが、窓の外を眺める僕のところに来て言った。


「病室移ってから元気ないみたいだけど。」