古き良き阪神タイガース

阪神タイガースの中継に命をかける神戸のテレビ局、サンテレビ。タイガースがどんなに負けようと、どんなに大量リードされようと、最後まで試合を中継してきたサンテレビ。最近は、タイガースが金に物を言わせた補強で強くなってしまったおかげで、なんだか別のチームを見ているようなのですが、サンテレビは相変わらずとてもイカしてます。


野球は雨が強いと試合が中止になりますが、そんなとき、サンテレビはいつの頃からか昔の試合を放送するようになりました。どうでもいいバラエティーなんかでしのぐのではありません。あの頃の阪神タイガースの試合を延々と放送するのです。勇気と信念を持った放送局です。


僕は今の阪神は好きではありません。そもそも昔から特に阪神が好きだったわけではなく、というか完全に巨人ファンでした。だけど、僕は関西の小学校に通っていたので、なんとなく巨人ファンを公にしていませんでした。周りがほとんど阪神ファンでしたからね。


当時は友達と野球をやるときに、よく阪神の選手になりきって遊んだりしていたのですが、掛布やバース、真弓などの取り合いになりました。僕はそれほど人気のない選手を選び、適当にそれっぽくプレーしていましたが、そのせいかそういう中堅選手に少し思い入れはありました。


先日もチャンネルを回していると、昔の阪神巨人戦サンテレビが放送していました。


1980年代の試合で、掛布が江川からホームランを打っていました。サンテレビは、どうやらいつもタイガースが快勝した試合を放送しているようでした。そりゃそうですよね。


で僕が見始めたとき、巨人の攻撃で、中畑がレフトに大飛球を飛ばしました。僕はそのときとっさに思いました。


佐野!


レフトの選手が後退し、ラッキーゾーンの手前でこちらを向き、見事捕球しました。僕の記憶は蘇りました。レフトを守っていたのは、僕が当時遊びのときよく演じていた選手、佐野でした。佐野はそれほど目立った選手ではなく、どの友達も佐野の役に好んでなったりはしなかったので、競合することなく僕は佐野を演じていました。


更に攻守が交代し、阪神の攻撃。安打製造機藤田平が華麗に2塁打を放つと、安藤監督はすかさず代走を送りました。僕はまたしてもとっさに思いました。


ここは北村や!


ベンチから出てきたのは、ほかならぬ北村でした。僕は当時、佐野に飽きると北村を選んでいました。北村は俊足が売りでしたが、やはりそれほど人気はなく、競合することなく僕は北村を演じていました。


古き良き阪神タイガース。弱かったけど、味がありました。今の阪神は、そりゃ強いかもしれないけど、何か一体となって応援できないような、そんな感じを覚える阪神ファンもいるのではないでしょうか。昔の試合を放送することにより、サンテレビが何かを訴えているかのように感じる今日この頃です。