ALL #19

ALL #18 - 日記


もうすぐしたら外に出られる。


そう思った瞬間から、とても気分が晴れやかになり、その時をすごく楽しみにして過ごすようになった。抗がん剤の副作用もどんどん軽くなったし、そうなるにつれて暇だなと思う時間も増えた。


ベッドに寝てるのもつまらなくて無意味に立っていたり、外に出たときのために体力作りをしたりもした。僕の足は信じられないほど細くなっていて、自分の足には見えなかった。せっかく外に出ても、体力がなくてはつまらない。スクワットや腕立て伏せなんかもやった。もちろん点滴がひっついたまま。


それから、ベッドに寝ているといつも壁かテレビを見ることになるので、いつの間にか目がとても悪くなっているように感じた。なので立って窓際に行き、なるべく遠くの方を見るようにした。そんなことをしながら、限られた外泊の時間にどんなことをするか、頭をぐるぐる回して考えた。


骨髄検査の日。


この病院に転院してきた日以来、約1ヶ月ぶりの骨髄検査。今回は若い女の先生がやってくれたが、内容は同じだった。僕は主治医が二人ということになっていたが、最近では毎日この先生が僕のところに来てくれていて、男の先生が顔を見せる頻度はかなり減っていた。うつ伏せになり、消毒して麻酔をして腰の骨にボールペンのような太い針を突き刺す。なんとか無事終わった。そしてその夕方、先生が報告に来てくれた。


「とてもきれいでした。寛解に至りました。」


これまでの経過が良かったので楽観はしていたが、やっぱり嬉しかった。もちろん、一度で寛解導入に成功すれば予後もいいと言われているのでそれも嬉しいけど、何より外に出られるのが嬉しかった。外泊許可はその2日後からということになった。


ただ、その前にもう一つすることがあった。僕はこのとき、足の付け根からカテーテルを挿入していた。よく動く場所なので、常時少しずつ出血し、頻繁にガーゼを取り替えていたし、何をするにも違和感が伴った。これを鎖骨の下に付け替えるのだ。最初からそうすればいいのだが、当時は血小板が少なくて鎖骨の下は危険という判断だったので足の付け根になった。でも血小板が回復した今は鎖骨の下の方が何かといい。様々な行動がしやすくなるし、血管も太いし。骨髄検査の次の日、それをすることになった。


処置をする部屋に車椅子で移動し、処置が始まる。仰向けに寝て消毒と麻酔をし、その後はよくわからないが、右鎖骨の下に痛みが走り、カテーテルが挿入される。体の内部に何かが入った感触がある。うまく入ると次は固定。皮膚の三箇所に縫い付ける。また体に傷が増えた。処置は首尾よく終わったようで、自分の部屋に戻った。


すると今度は足の付け根のカテーテルを抜く作業が待っていた。もし鎖骨の下にうまく入らなかった場合は足の付け根のカテーテルを使うしかないので、残してあったのだ。この作業は割と早く終わった。


こうして外泊する態勢は整った。