丁寧語

僕はほとんどの人と丁寧語で話します。なぜかというと、それは僕がとても物事を難しく考える人間だからです。


物心がつくと、僕は言葉を話していました。もちろん丁寧語なんかでなくて、普通の言葉。小さい頃は父親の仕事の関係で引越しが多く、歳の数と同じくらい引越しをしていました。僕が自分の言葉について記憶している一番古い思い出は、昔住んでいた富山に一年ぶりに遊びに行ったときのことです。


懐かしい友達と再会したのはいいのですが、自分の話している言葉と全然違うのです。すると友達みんなから、僕の言葉がすっかり変わってしまったと言われました。僕はまったく意識していませんでしたが、昔は当然のように富山弁を話していたようです。


その後僕は関西に移り住み、関西弁を話すようになりました。でもそれと同時に丁寧語というものも徐々に話すようになりました。学校に入ると、先生に丁寧語で話さないといけないからです。その後大きくなるにつれいろんな場面で丁寧語が必要になり、いつしか2つの言葉を使い分けるようになりました。たぶんこれは大方の人がそうだと思います。


この2つの言葉は無意識に使い分けていましたが、振り返ってみると、知らない大人とか先輩には丁寧語、友達とか後輩とか家族には普通の言葉を使っていたように思います。これもたぶん普通のことなんでしょう。


でもね、学校を卒業し、社会人になって会社に入ったとき、ふと考えてしまったのです。会議で話し合いをするとき、ある人に対しては丁寧語、ある人に対しては普通の言葉。なんか変だなって。僕は会社に入ったばっかりだからほとんどの人と丁寧語で話していたけど、先輩たちを見ていて不自然に思ったのです。


そう考えてみると、いろいろおかしなことが見つかりました。同じ会社で、同じ目的に向かって、同じように努力しているのに、どうして後輩にはあんなに横柄な態度で接するんだろう。後輩というだけでどうして雑用をしないといけないのか。部長や課長はそんなに偉いのか。


いや違う。先輩や後輩というのはただそこに先に来たか後から来たかの違いであって、それによって優劣が決まるわけではない。部長や課長は、職務として部署を統括する役割を任されている人の呼称であり、給料が高いのはその責任の大きさのため。間違っても、素晴らしい意見や正しい判断が不当な力によって捻じ曲げられてはならないし、自分も絶対にそんなことしたくない。そんなとき、思いました。


僕はすべての人と同じ言葉で話したい。


僕はこの時点で2つの言葉を話せます。丁寧語と普通の言葉。でも先輩に普通の言葉で話すといろいろ厄介です。僕の主張をいちいちするわけにもいかないし。じゃあ!ということで僕は会社にいるすべての人と丁寧語で話すことにしました。僕は転職したので同期もいないし、そうすることは簡単です。普通の言葉で話されて怒る先輩はいるかもしれませんが、丁寧語で話されて怒る後輩はいません。


丁寧語でずっと話すなんて堅苦しいと思うかもしれませんが、やってみると普通です。それを丁寧語だと思うから堅苦しいだけであって、そういう言語だと思えばなんともないです。僕にとってはそれが丁寧語なのかどうかはどうでもいいのです。すべての人と同じ言葉で話すことが重要なのですから。


ということで、僕はほとんどの人と丁寧語で話します。もちろん態度も同じようにしてるつもりです。


僕が普通の言葉で話す人を数えてみたのですが、もしかしたら10人もいないかもしれません。昔からの友達とか、数少ない同期とか。あと、後輩にしては珍しく普通の言葉で話してきてくれた人とかね。でも今普通に生活してる中では100%丁寧語です。普通の言葉で話す人たちは、なぜかみんな遠くにいるのです。


まあなんにせよ、人間というものはややこしい性質を持っていて、更に僕の頭の中もややこしいということです。