家庭教師

のほほんと家で過ごしていると電話がかかってきます。

「先生、今日はまだ来られないようですが…」

あっ!しまった。今日だったの忘れてた!どうしよう…。


今でもこんな夢で目覚めるときがあります。僕が家庭教師をやり始めたのは大学1年生のとき。社会人になる直前、大学院の修士までずっと誰かの家庭教師をやっていたのですが、もう社会人になってだいぶ経つので随分昔の話です。


でも未だにこんな夢を見るというのはどういう心理状態なのでしょうか。考え付くことは、家庭教師というのが僕にとって中途半端な商売だったということ。中途半端と言っても適当にやっていたという意味ではありません。なんと言うか学生のアルバイトなので、まだお金を稼いでいるという意識が薄くて、そういう心構え全般が甘かったという思い出があります。そのためか、後から考えると危なかったな〜と思うことがたくさんあったのです。で、その一番大きなものが、ちゃんと約束の時間に行くという基本中の基本の行為です。


家庭教師というのはいろいろなスタイルがあると思いますが、僕の相手は全部直接お願いされたものばかり。このときは大学のネームバリューというのはすごいなと思いましたが、そのせいで何の苦労もなく高額な時給のアルバイトにありつきました。業者に登録したり面倒なことを経験しなかったし、知り合いに近い近所の人が多かったのでかなり気軽に仕事をしてました。


一応曜日と時間は決めているのですが、お互いの都合次第で家庭教師に行く日や頻度は柔軟に変わります。テストに近いと頻度を増やしたり、クラブの試合や、逆に僕がどこかに旅行に行くときなど、子供と話をして決めます。親御さんも顔は合わすのですが、挨拶程度で毎回そんなに長話はしないので、緊張感もついつい緩んでしまいます。確か完全に忘れてたことはないと思いますが、5分前に思い出したとか、遅れるとかはあったような気がします。普通の社会人なら会社に行くの忘れてたとかありえませんけどね。


でもそんな夢を見て、夢だったことにホッとした後は、少し昔の思い出に浸ることがあります。


僕の教え子で一番長かったのは、小学生のときから高校生まで教えた子。僕の初めての家庭教師だったし、その子も家庭教師なんて初めてだったので緊張していましたが、だんだん打ち解けました。ときには部屋に行くとタバコの臭いがすごくて、僕がタバコが苦手なので僕が来る前は換気しといてと頼んだりすることもありましたが、問題を解かせてる間僕がヒマそうにしてると、発売になったばかりの少年ジャンプを差し出してくれる優しい一面もありました。


大変だったのは勉強をする気がまったくない子。僕はたいていのことは教える自信がありましたが、やる気のない子にやる気を起こさせる自信は全然ありませんでした。本当に、問題を出してもまったく進まないのです。そういうときはその子の好きな話をして、気持ちが変わるのを待ちました。最後までやる気が起きないこともありましたが、それはそれで仕方がないと思ってました。大体僕自身が勉強したくないときはしないタイプでしたから。それに話をするのは悪くないと思ってましたし、逆に、親御さんの方から「あの子と仲良く付き合っていただければ勉強は二の次で結構です」と言われることもありました。


中には中3なのに「b」と「d」の区別がどうしてもつかない子もいました。「b」と「d」の区別というのは微分方程式より教えるのが難しいです。「bは右に丸いのが出てて、dは丸いのが左に出てる」。これは教えてることになりません。でも本人は真剣に困っているのです。力になれないことも多かったと思います。


教え応えがあったのは、阪大に合格した子。その子は頭が良かっただけでなく、取り組み方がとても素晴らしかった。僕がすべての指揮を取る子もいますが、その子はいつも自分のわからない問題を溜めておいて、僕が来たときにぶつけるという形式を取っていました。当然志望校が志望校だけに難問続き。すぐには解けない問題もありますが、僕と一緒に考えたり、こねくり返す時間を大切にしているように思えました。家庭教師はどんな問題もすぐ答えてくれなきゃ…なんて思う人もいるかもしれませんが、一緒に考えることで思考過程に幅ができ、いろんなタイプの問題にも対応できる力がつくような気がしました。


かわいそうだったのはクラブ活動をしていた子です。遅めの時間設定だったのですが、それはクラブが終わる時間を考慮してのこと。スポーツのコースにいる子で、毎日水泳をしてから帰ってギリギリご飯を食べて臨んでいました。なので問題を解きながらよく居眠りをしてました。親御さんは勉強もさせなきゃと思っているので、立場上僕は起こさなければならないのですが、1対1のプレッシャーの中でも寝てしまうほど疲れているのです。僕は起こさずにしばらく寝かせてあげることもありました。


両手の指では足りない数の子を教えたので、挙げればまだまだいろんな思い出がありますが、子供たちは僕のことをどう思っていたんでしょうね。少しでもいい思い出として残ってるといいですが。