思い込み

テレビで、思い込みに関するテストがやってました。


A君は、子供の頃父親を亡くしました。A君は大人になり、病気をして手術をすることになりました。すると執刀医が言いました。「この子は私の子供だ。緊張して手術ができない。」


この話を聞いて、「どこかおかしいぞ?」と思った人は、思い込みが激しいそうです。なぜでしょうか?ちなみに僕は別におかしいとは思いませんでした。父親が死んだというのはA君の思い込みだと思ったからです。


父親が死んだというのは事実と考えるらしいので、このテストで僕の思い込み度は測れず、どちらかというと疑い深さが測れてしまった感じもするわけですが…そんな僕は先日こんな思い込みをしました。


その日はお造りが食べたいな〜と思って魚コーナーで粘ってました。お造りというのは当然ながら新鮮な魚の身。一番新しい状態だから、加熱用のものに比べてお値段も高くなります。でも食べたい…。そう思ってにらめっこをしてると、コーナーの端っこにこんなものがありました。


「造り切り落とし198円」


パックの中を見ると、お造りを作るときに余った端っこの部分が無造作に放り込まれていました。きれいに並べて飾りまでつけてある他のお造りとはえらい違いです。でもそこにはたくさんの種類の魚が入っていました。タイ、ハマチ、イカ、マグロ…おそらく今日並んでいるお造りにされた魚のほとんどの種類が入っています。


これは買いだ。


僕は即決しました。パックの中にわさびが入ってなかったので残念でしたが買いました。お造りには全部ついてるんですけどね。チューブのわさびは家にもありますが、それよりお造りについてるわさびの方がおいしいんですよ。でもまあいいです。


僕は家に帰り、ごはんとお造りだけを並べ、むさぼりつくように食べました。切り落としだからたまに中骨が残っていたり、うろこがついてる場合もありました。また、端っこだから少し堅いところもあったりします。でもいろんな魚を食べられてとても満足。量もたくさんあったし、チューブのわさびでも十分おいしいです。


しかし、満足なひと時を過ごした後、何気なくラベルを見ていて気づきました。


「加熱用」


え…もう食べちゃったし…。


僕は「造り切り落とし」とは造りを切り落としたものだから、当然造りとして食べられると思い込み、生で食べられるかなんて確認しませんでした。昔、居酒屋で「生レンコンはさみ揚げ」というメニューがあったときに、揚げてるのに生っておかしいだろ!とか、パスタ屋で「生麺使用」と書かれているときに、パスタを生のまま食べておいしいのか?とか疑問に思い、確認してすぐに解決したことはありましたが、造り切り落としは僕にその隙を与えてくれませんでした。


とりあえず人のせいにすることを考えましたが、「造り切り落とし 加熱用」を偽装と呼ぶことはあきらめました。わさびも入ってなかったし。


さて僕のお腹はどうなったのか。その後なんともありませんでした。僕は覚えています。その切り落とし一つ一つが、僕基準で十分お造りとしての鮮度を保っていたことを。見るからにおいしそうなお造りだな〜と思って食べてました。だから、表示に惑わされず、実際に魚を見てお造りだと信じ、真実を見抜いたと思うことにします。加熱しなければいけない、鮮度以外の要素があったとしたら別ですが…。


しかし思い込むことと信じることというのは判別が難しいですね。思い込みというのは、最初から思い込みだとわかっているわけじゃなくて、最初は信じているものだからです。後からそれを覆す事実を知って、思い込みだったと気づくわけですから。もちろん、思い込みを思い込みだと気づかないまま一生を過ごすこともあります。もしかしたら「信じること」の定義は、思い込みを思い込みだと気づかないことかもしれませんね。


ちなみに冒頭の話の執刀医はA君のお母さんだそうです。