忍耐

今年の漢字が「偽」に決まったそうですね。


どういう団体によって何のためにどういう方法で決められるのかとかはよく知りませんが、まあ面白い思いつきだとは思います。ただ、それを発表した清水寺の住職(なぜ清水寺?なぜ住職?)が、「日本人として恥ずかしい」みたいに遺憾の意を表してたのはどうかと思いましたけど。お前に言われる筋合いはないし、お前こそその地位に昇りつめるためにいろんな汚い手を使ったんじゃないのか?なんて。


何かのものごとをを一言で表すというようなことは僕も経験あります。小学校のとき、卒業文集に載せるからというので、卒業に際して言葉を考えたことがあるんです。僕は選択肢を与えられるより、そういう自由に考えられる方がわくわくするので、楽しみつつ考えて提出しました。


で、いざ卒業というとき、その文集が出来上がって配られたのですが、僕は驚きました。僕のクラスのほとんどの人が、「夢」「希望」「努力」のどれかを書いていたからです。


僕はあまりに不思議なので、始めは、本当にどの友達もそういう言葉が好きなんだと思っていました。とても美しい言葉で、卒業文集に載せるには最適。明るい未来に向かって羽ばたく感じがします。


でもなんか変です。他のクラスのページを見ると、「夢」「希望」「努力」のどれかが大半を占めるなんてことはないのです。クラスによって色があり、書いてる言葉自体もちょっと違う観点だったりしてます。


なんだ〜、みんな相談してたのか〜…だったら一言いってくれよ…。


そんなことを知らなかった僕は全く周囲と溶け込むことのない言葉を書いていました。それは卓球少年団のコーチの座右の銘で、ただ単に字の形がかっこいいなーと思っただけの言葉でした。


「忍耐」


「夢」や「希望」にまぎれ、一人だけ耐え忍ぶ感じになってしまいました。僕だって明るい未来の方がいいのに…。よく有名人とか、事件を起こした犯人とかはこういう昔書いたものとかが引用されることがあるのでちょっと嫌ですが、まあそうそう有名人にも犯人にもならないと思うのでこれが掘り起こされる可能性は少ないとは思いますけど。でもまだ僕はましな方かもしれません。明らかに何か趣旨を間違えたっぽいやつもいました。


「暴雪」


親戚がスキー場でも経営してるのでしょうか…。


でも、僕は忍耐と書いてしまった苦い記憶があるので覚えてますが、夢とか書いた人は書いたことすら忘れてるかもしれませんね。昔の文集の自分の言葉を見て、忘れてたことや、二度と思い出さなかったかもしれないことを思い出すのもたまにはいいですよ。