Roberto Baggio

あるサッカー番組を見ていました。


Jリーグの選手がどこかの学校に行って子供たちにサッカーを教えるという企画をやっていました。その企画の最後に、子供たちから選手への質問コーナーというのがあり、ある子供が「好きなサッカー選手は誰ですか?」という質問をしました。その選手は答えました。


ロベルト・バッジオです。」


しかし子供たちからは反応がありません。なんと!子供たちはロベルト・バッジオを知らなかったのです…。


Roberto Baggio


僕が彼のことを好きになったのは1994年、我が家に衛星放送がやってきた年でした。


1994年は4年に一度のW杯の年。前の年にいわゆるドーハの悲劇があって日本代表は出場できませんでしたが、僕はとても注目していました。当時バッジオは既にスーパースターで、ユベントスというイタリアのビッグクラブのエースとして活躍し、数々の輝かしいタイトルを獲得していました。クリエイティブなプレイスタイルに、特徴的な三つ編みのヘアスタイルで人気も高く、当然イタリアの期待も背負うバッジオには報道陣が群がりました。


大会を前にW杯への抱負を聞かれたバッジオは、「難しいかもしれないが、決勝に残れるよう頑張るよ」と答えていました。


しかし大会前にケガをしてしまったこともあり、バッジオは思うような活躍ができませんでした。走れないバッジオは、途中で交代させられてしまうこともありました。イタリア代表は思わぬ苦戦を強いられ、ギリギリで予選を突破しました。


決勝トーナメントを前に、「このままプレーを続ければ、今後の選手生命は保証できない」とドクターが言ったというほどバッジオのケガはひどく、イタリア代表にとってはとても厳しい状況となりました。しかしバッジオはそれでも試合に出ました。


決勝トーナメント一回戦のナイジェリア戦。当時アフリカ最強と言われたナイジェリア相手に思うような試合ができず、リードを許す展開。後半もロスタイムに入ろうかという時間になり、実況アナウンサーの「ロベルト・バッジオの94年はこれで終わってしまうんでしょうか?」という問いかけに対し、解説者も「残念ですがそうですね」と答えました。その直後でした。


一瞬のスキをつき、得意の角度から最後の力を振り絞って放ったバッジオのシュートがゴールに吸い込まれました。イタリア代表が生き返りました。バッジオの周りに選手が集まってきました。延長戦に入ってからもバッジオのセンスは光り、まさかの逆転でイタリア代表を勝利に導きました。


その後は見違えるような活躍を見せるロベルト・バッジオ。本来の姿を取り戻した彼は華麗な動きで次々とゴールを決め、とうとう決勝に進出しました。


しかしバッジオの足は限界を超えていました。真夏の炎天下で行われた決勝のブラジル戦では両チームとも体力を消耗し延長戦を終えても点が入らず、史上初の決勝PK戦となりました。少ないチャンスに走りこもうとしても転倒して足を押さえていたバッジオにはもうPKを蹴る力も残っていませんでした。


バッジオが蹴ったボールは大きくゴールを外れ、ブラジルの優勝が決まりました。テレビカメラは優勝したブラジルの選手たちではなく、立ち尽くすバッジオの姿をとらえていました。


国民の期待を背負って、重圧の中、ケガを抱えながら戦い抜いたバッジオ。しかしその代償はあまりにも大きなものでした。


夏が終わるとサッカーのシーズンが始まります。しかしユベントスの開幕戦にバッジオの姿はありませんでした。バッジオに代わって背番号10をつけていたのは、アレッサンドロ・デルピエロ。長髪をなびかせ才能あふれるプレーでファンを魅了したその青年は瞬く間にユベントスのエースへと成長しました。


シーズン後半、ケガが治ってバッジオがチームに戻ってきたとき、もうバッジオの居場所はありませんでした。その後いくつものチームを放浪するかのように渡り歩いたバッジオでしたが、再びあの輝きを取り戻すことはなく、ユニフォームを脱ぎました。



そんなバッジオを知らないなんて…やっぱ、ゆとり教育は失敗でしたね。