淀川

今日は久しぶりにスカッと晴れたので、自転車で淀川の河川敷を散歩してみました。


近くの川なのにほとんど行ったことがなかったのでこの機会を狙ってました。


とても天気が良くて気持ちの良い午後。景色を見ながらてれてれ自転車をこぎます。一応魚釣りができないかと簡単な釣り道具を持ってきていたので、川の様子は特に注意して見てました。ただ、うわさには聞いてましたが、淀川には外来植物のボタンウキクサが大繁殖していて、仕掛けを投げ入れることができる場所がほとんどありませんでした。向こう岸でも見えるほどボタンウキクサは生い茂っていました。


見てると、ボタンウキクサはある程度水深のあるところを好むようで、砂浜にはうまく適応できないようでした。ただ今の淀川は護岸がしっかり整備されてるところがほとんどなので、ボタンウキクサにとってはパラダイスです。淀川だって昔は護岸整備なんてされてなかったから、そんなことはなかったんでしょうけど。よーく探すと昔ながらの砂浜の場所もあって、そこにはボタンウキクサはありませんでした。


ところで淀川の北には「淡路」とか「菅原」とかいう地名があります。淡路は阪急の駅があるのである程度有名です。でもなんで淡路なのでしょう。淡路島と混同されてしまうことがたまにあって困ることもありますが…。実はこの淡路という地名、面白い逸話があります。


大昔。今や学問の神様として有名な菅原道真大宰府に左遷されることになりました。新幹線はないので、船でえっちらおっちら西に進み、ある島にたどりついたとき、道真は言ったそうです「やっと淡路まで来たな〜」。でもそこは今の「淡路」がある辺り。淡路島では全然なかったのです。


想像するに、1000年くらい昔とは言え今の淡路付近が普通の海だったとは思えません。もしそうだとしたらものすごい地形変動ですから。おそらく、かつての淀川は河口付近で広く分岐して、三角州みたいなのがたくさんあったんじゃないかと思うんですね。大阪平野自体が淀川によってできたくらいの勢いで。その一つが淡路付近。ほかにもこの辺りには西中島とか柴島とか海っぽい地名が多いです。ちなみに菅原天満宮というのもあります。


おそらく当時は堤防がなくて毎年のように水害があって困ったでしょうが、たとえボタンウキクサが持ち込まれても繁殖なんてできなかったんでしょうね。そんな当時を思い出させる砂浜で竿を出し、結果を出せずに帰る僕でした。